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2011年 04月 13日
某みXX銀行の頭取さんが全国銀行協会会長へ内定していたようなのですが、最近の大規模なシステム障害により顧客や他の銀行に迷惑をかけた責任を取って、就任を辞退したということでした。
震災の直後だっただけに、震災の影響だと思っていた人も多かったと思いますが、実は関係ないみたいですね・・・ 私はその時ちょうど海外出張中だったので、あまり詳しい情報もなく、ただ、本来ならもう入金されているはずのお給料が振り込まれておらず、みずほのニュースをネットで見ても、何の疑いもなく震災のせいだと思っていました。 フリーランスであちこちから少しずつ給料をいただいているので、「今月の生活費が~!!」というようなことはありませんでしたが、人によっては借金の返済ができず延滞料を取られてしまったり、不渡りを出してしまったり、かなりピンチに陥った方もいたのではないでしょうか。 そんななか・・・私のお友達のお姉さんが某みXX銀行でアルバイトしていて聞いた話ですが、今回は震災の影響だと思われたのが幸いし、直後にあまり怖い苦情の電話はかかってこなかったらしいです。以前、統合したときにトラブルがあったときはせっぱつまったお客さんに電話口でどなられたり、「つぶれてしまえ」とか、いろいろ罵詈雑言だったらしいのですが、今回は「いえいえ、大変でしょう。頑張ってください」という感じだったようです。(・・・でも、震災のせいじゃなかったんですけどね(苦笑)・・・) 以下、友達とお姉さんのやりとり。 友達 「だんなさんのお給料は大丈夫だったの?」 お姉さん 「それが別の銀行の口座を受取先にしてたから大丈夫だったのよ。」 友達 「そうなの?!よかったね!」 お姉さん 「うん。みXXじゃなくってよかった~」 といいつつ、ふと自分の仕事帰りの洋服の胸を見ると・・・ 「みずほでよかった・キャンペーン」というバッジが付いてて爆笑。 ま・・・深刻な影響のあった人には笑いごとではないのですが・・・。 *** つい先日、妹宅に泊まりがけで遊びに行ったときのこと。 ホットカーペットが暖かかったので靴下を脱いで、そのまま置きっぱなしにして部屋に帰って寝てしまいました。 どこにでもありそうな黒い靴下だったので、翌朝、私がまだ寝ている間に、妹が見つけて「これは誰のだろう?」と考えてたら、4歳の甥っ子が「くんくん」として「これはあっこおばちゃん(私)のだよ」と判定・・・。妹は大爆笑。 わが甥ながらなんとチャレンジャーな・・・と思いつつ、何を根拠に私と判断?私のイメージってどんな匂い(臭い?)よ???・・・とちょっと気になって、満を持して自ら確認・・・そしたら「レノア」の香りだった。よかった~・・・レノアでよかった。 #
by babelbabe
| 2011-04-13 18:31
| 社会・時事
2011年 03月 26日
もう何年も前のことです。運転手付きの車の中、とある方々(立場上、これ以上詳しく書けませんが)の会話で、東海村の臨界事故の話題になりました。
**** 東海村の件はこちらを参照のこと http://ja.m.wikipedia.org/wiki/東海村JCO臨界事故 **** 「あれは可哀想だったな」 亡くなられた作業員の方々のことだと思ったら、所長さんのことでした。 すなわち、下に子会社、孫会社、ひ孫・・・際限なくあり、実際の作業に当たるのはそういった関係会社。しかも派遣社員であったり。彼らの行う一つ一つの作業は、親会社のコントロールの及ぶ状況ではない。にもかかわらず、何か事故があったら、国民の前で頭を下げなければならない。刑事責任も問われる。 それが可哀想だと。 Wikiの一部を抜粋します。 「JCOは「常陽」用の燃料を加工するにあたり、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用しており、(中略)正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用した手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。」 今回、「関連会社」の作業員の方が被爆した事故の詳細を知り、その会話を思い出しました。 誤解を恐れず言うなら、私は、その所長さんを「可哀想」とした会話の主に同意します。 自分が着任した時、すでに何年もかけてそういう仕組みが出来上がっていて、改革の大ナタでも振るわない限り、何も変わらない。そんななか、たとえ沢山お給料をもらっていたからといって、何かあった時に全責任を負わされる。一個人に降りかかった「災難」と限定して考えれば、「可哀想」だと思います。 現場の慣例に従って作業をしていて命を落としてしまった作業員の方やそのご遺族の方は、もはや「可哀想」などというレベルのものではありませんが。 今回の被爆事故もまた、同じ問題を露呈してしまったのだと思います。 親会社にある情報が現場の作業員に伝わらない体制、そんななかで作業をしなければならない作業員の方々。そんななかで起きた事故の全責任を負わざるを得ない代表者。 日本の自動車メーカーが下請けや部品メーカーの品質や作業内容までも厳しく管理する、といったサプライチェーンはどうやら当てはまらないようです。 もし私たちが今後も原子力とともに生きていくことを選択するとしたら、これ以上「可哀想な」犠牲者を出さないためにも、こうした体質の改革も求めていかなければなりませんね。 もう一つ、この事故をきっかけに思いだしたことがあります。 それは、イギリスの原子力発電所へ仕事で立ち入ったときのことなのですが、事前の厳しい被爆量のチェック(過去のX線検査歴、原発訪問歴、など)や、敷地内での厳しい注意事項(傷や打ち身を絶対に作ってはならない、など)は以前に書いたとおりです。 そうやって入った原発内でしたが(この壁の向こうで使用済み燃料からウランとプルトニウムを分離しています、という所まで入りました)、当たり前ですが、放射能がそこにあることを全く五感で感じられないのです。 私は駆け出しの頃、よく石油化学工場の工場見学の通訳をしていました。その時は、危ない物は目に見えたし、臭いで分かりました。汚水や排ガス処理施設の最初の工程と最後で、明らかに排水や排ガスから「毒」が取り除かれているのが感覚でわかりました。 それと比較しても、原発内は非日常の世界でした。物々しい注意事項、警戒体制、そういった緊張感は肌で感じるのですが、それとはおよそ不釣り合いな放射能の存在感の無さは逆に不気味に感じました。 私たちの体は熱いやかんに間違って触ってしまったら反射的に手を引っ込めますが、放射能で汚染された水は、たとえ皮膚がただれてしまうような濃度であっても、しばらく浸かっていてもすぐに危険が分からないのですね。 ちなみに、イギリスの原発施設内では、ずっと「ピーッ ピーッ ピーッ・・・」とアラーム音がなり続けていました。(音は違いますが、117に電話すると聞こえてくる時報の音をイメージしてください。) 案内の方に、「この音が鳴っているうちは安全だと思ってください」と言われました。 外の世界の常識では、危険になったらアラームが鳴りますが、そこではアラームを鳴らすことで安全を知らせているのです。 毎秒ごとに時を刻むアラームの音が、警報システムの正常な動作の証であり、そこにいる全ての人の安全の証であるということ・・・これには衝撃を受けました。 オフィスなどは、安全で当たり前の空間。だから危険が発生したときだけ警報を鳴らして知らせる。一方、原発施設内は、毎秒毎秒、安全を証明することが求められていた環境でした。 政府は、もしかするとこういった発想の転換をしない限り、現在の混乱は避けられないかもしれません。 ちなみに、ネットで飛び交う様々な意見は、現在、安全を訴える派も、危険を訴える派も、そのどちらが正しいかは置いといて、一つ共通して欠けていることがあると思います。それは、「危険を受け入れる」ということです。 安全派は、危険でないから安心しなさい、と言うし、危険派は、危険だ、というばかりで、それを受け入れて生活していく方法を示してない。今、危険を訴えるとネットで叩かれたりしやすいそうですが、無理もありません。危険派の主張は行き場がない。じゃあ明日からどうしろっていうの?という話になってしまう。 いっぽう、放射能は目に見えないし、臭いも味もない。だから、我々の日常生活よりずっと危険な場所にいるはずの現場の作業に当たる人たちですら、いつしか効率優先で手順を変えたり、身近な体験に基づく安全感覚で作業に当たってしまう。 私たちも、目に見えない不安を相手にしているうちに、いつしか注意するのに疲れてくる日が来るのではないか、と思います。それは私も同じです。 体感できない以上、毎朝起きたらネットで水道水と大気の放射性物質のレベルをチェックし、東電と経産省と厚労省のホームページで発表事項がないか確認し・・・、みたいなことを日課として「淡々と」、自分で自分の安全のアラーム音を鳴らしていかなければならないのかな、と自分に言い聞かせています。 今回被爆された作業員の方の被害が少しでも軽いことを願っています。日本国外を含め、世界で最高の治療を受けられるよう祈っています。 #
by babelbabe
| 2011-03-26 23:29
| 社会・時事
2011年 03月 25日
(23日に出先で書いた内容を掲載します。)
今日はロンドンにあるブリティッシュライブラリーに行っていました。といっても、調べ物ではありません。部屋にこもって地震や放射能のことばかり調べてないで、たまには外に出てみたら、という周囲の勧めによるものです。 そこには小さな展示室があり、それが素晴らしいというので行ってみました。 単なる気分転換のつもりだったので、今日のことを書くとしてももっと先のことになるだろうと思っていたのですが、軽い気持ちで出かけたにもかかわらず、大きく心を動かされました。タイトルの通り、なんだか心の救いを得られたような気がしましたので、今日はそれをおすそわけしたいと思います。 ブリティッシュライブラリーの展示室には、本にまつわる様々な歴史的に貴重な史料が収められています。 文学者や作家のオリジナルの原稿、偉人の日記や手紙、文机、中世の各国の宗教の経典、地図、手書きの楽譜、その他・・・ それらを解説とともに眺めていたら、私たちが抱えている感情や情熱、悩みや喜びは今も昔も変わらずあったものなんだな、としみじみ思いました。 中でも心に響いたのは、スコットの日記でした。南極到達を目指し、志半ばで命を落とした探検家です。スコットとライバルのアムンゼンの話は有名ですよね。イギリス人ということもあり、ここイギリスではみな断然スコットびいき。スコットは国民的な悲劇の英雄です。 仲間を一人一人失い、物資も使い果たしつつあり、餓えと寒さと絶望で、鉛筆書きの筆跡はかろうじて文字の形を保ち読むのもやっとです。 その彼が亡くなる前の最後の日記に、足をひどい凍傷にやられてしまった仲間がブリザードの中を出て行った時のことが書かれています。もう楽になりたくて、あるいは足でまといにならないよう死ぬつもりで出て行ったのか、近くにあるはずの物資の基地を探しにいったのか、いずれにしても、大吹雪の中テントを出るのが自殺行為であることは確かです。それを知っていたスコットは仲間を止めもせず、こう淡々と綴っています。"He said, I am just going outside and maybe sometime, and he left" (彼は「ちょっと出かけてくる。しばらくかかるかもしれないが」と言って出ていった。) 数日前、自衛隊の特殊化学防護隊(志願制)の方のご家族の書かれたと思われる文章がメールで回ってきました。隊員の方は、現場に赴く日、普段と同じようにして家を出ていった、と書かれていました。そのときご家族に残した言葉は、スコットの同僚とほぼ同じものでした。 また、現在の状況の危険かどうか、避難や疎開するかなどで、友人やご家族と意見が分かれてしまって悩んでいる方もいるかとおもいます。進化論のダーウィンの手紙を見ると、彼もまた友情と信念の間の板挟みになって悩んでいたのだと教えてくれます。 「種の起源」を書き上げ、出版に先駆け刷り上がってきた本をケンブリッジ大学で地理学の教鞭を取る友人に送って感想を求めたところ、敬虔なクリスチャンの友人がショックを受け激怒するやら嘆き悲しむやら・・・ (今でこそ常識となっている進化論ですが、「神がアダムを自らに似せて作り、アダムの肋骨からイブを作った」と誰もが本気で信じていた時代に「猿から進化した」などというのは世界中を敵に回すようなとんでもないことだったのです。) そこでダーウィンは友人にお詫びの手紙を出します。その中には友人の心を痛めてしまったことを詫びるとともに、「それでも私は自分の学説に自信を持っており、その気持ちに変わりはありません」と書いてありました。 中世の書物はもちろんですが、オスカー・ワイルドやバージニア・ウルフ、ブロンテ、オースティン、彼らの原稿をみていると、文字が小さいことに驚きます。手書きなのに新聞の文字みたいに小さい。きっと昔は紙が高級品で、そういう書き方が当たり前だったのでしょう。 それにくらべ、私の部屋のコピー用紙の山はなんだろう。紙を大切に使いながら何百年何十年と受け継がれるような言葉を紡いでいた先人の偉業に頭が下がるとともに反省することしきりです。 とはいえ、作家も人間。せっかく書いた文章をぐぁーーっと段落まるごと波線で消してあったりすると、なんだか親近感湧きます。また、might をwould、 The をTheirに書きかえたり、コンマを付けたしたり・・・と一度書いた文章を何度も細かく書き直した生々しい跡の残る原稿は、作家の細部にわたる心血を注いだ仕事ぶりを伝えてくれます。 そんな展示室を出ると、あちこちでノートパソコンを広げている学生さんや旅行者たち。彼らは世界中とつながっていて、私もそのうちの一人です。 なんというか・・・昔は偉い坊さんやら一部のインテリだけのものだった「情報」が、マスメディアとして一般に広まり、そして今やインターネットの登場うとともに、発信・受信両方が万人のものとなった。今は本当の意味で情報にデモクラシーが訪れているんだなぁ、と実感しました。 ブリティッシュ・ライブラリーの外には、新旧問わず著名人の名言が看板で掲示されており、駅からライブラリーへ向かう途中、信号待ちの私の目に真っ先に入ってきたのが次の言葉でした。 "Knowledge is of two kinds. We know a subject ourselves, or we know where we can find information on it. Samuel Johnson" 「知識には二種類ある。それについて自分で知っているということ、あるいは、それについての情報を見つけることのできる場所を知っているということ(サミュエル・ジョンソン)」 図書館のことなんでしょうけれど(あるいは、この方は辞書を編纂した学者のようなので、辞書のことかもしれない)、それはネットの世界でも同じですよね。 真実を知ることのできる場所を知ることができれば、それは真実を知ったと同じくらいの力なのでしょう。そして、その大切さは、未曽有の情報デモクラシーの中でより一層高まっているのだと思います。 ブリティッシュ・ライブラリーには、ビートルズ関係の展示もいくつかあります。 名曲の歌詞が「そこいらの紙きれ」に書かれてたりするのを見ると、アイデアが舞い降りてきた時、必ずしも近くにちゃんとした紙がなかったりするのは誰でも同じなんだな、と思います。 Helpの歌詞の書かれた広告の裏みたいな紙は、ジュリアン・レノンのものと思われる赤ちゃんの落書きがあったり、A Hard Days Nightの歌詞は、ジュリアン一歳の誕生カードの裏に書かれています。 音楽といえば、外に掲げてあったこの言葉も心をに響きました。 "Where words fail, music talks." (言葉にできないとき、音楽が語り始める) デンマークの詩人・作家のアンデルセンが残した言葉です。言葉を生業としていた彼ですら言葉を失い、音楽に救いを得た経験があったのでしょうか。 なかなかロンドンの観光名所として名前の挙がりにくいマイナーな場所ですが、ロンドン市内の駅からも近く便利ですので、ぜひ機会があれば足を伸ばしてみてください。 #
by babelbabe
| 2011-03-25 19:04
| 社会・時事
2011年 03月 17日
検出された放射線量について、X線検査(いわゆるレントゲン)やCTスキャンと比較して安全度を訴える発表が目立ちますが、私はこれを疑問視しています。
なぜなら、被爆量において時間や回数も重要な要素だからです。 X線検査の照射量は一枚あたりの数値です。照射時間は数秒で、普通の人は年に1,2回しか受けませんよね。 この比較は、隣国で行われた核実験や事故による放射能漏れなど一回こっきりの事象には有効だとは思いますが、今回のように同様の事態が今後も継続または再発する恐れのある場合には適切でないと考えます。 電力会社の方は、もう二度と爆発を起こさない、あってはならない、という決意で必死に取り組んでおり、それが発表の根底にあるのかもしれませんが、それが、二度と起きないことの保証にはなりません。 法律で定める一年間の許容被爆量は1000マイクロシーベルトです。例えるなら、1マイクロ100円として、100円玉が1000枚、つまり10万円財布にあると考えて下さい。それが一年間に使える予算です。 週に10円しか使わない人がむやみに心配したりパニックを起こしたりするのはナンセンスですが、買い物と同じで、一つ一つの値段が安いからといってむやみやたら買っていれば10万円はいつか使い果たします。 原発から数百キロ離れたところにいる私達は、「現在たまに数円ないし数十円の出費があり、今後もしかしたら数千、あるいは数万円単位の出費の恐れがある」という状態かもしれません。数十円出て行くたびにうろたえる必要はないけれど、もしもにの出費に備えて無駄遣いは許されません。 節約の方法としては、肌の露出を避ける、マスクを着用する、帰宅したら外でコートの埃を払ってから中に入る、帰宅したらすぐシャワーを浴びる、発生源から離れる、などがあると思います。 特に、発生源から離れることは私達が感じている以上に効果があります。なぜなら、私達の恐怖心は距離に比例しますが、放射線の危険は距離でなくその2乗に比例するからです。 50キロ離れたところにいる人が1000円使うとき、150キロ離れたところにいる人は111円、250キロ離れたところにいる人は40円。離れるに越したことはありません。 ちなみに、原発勤務者や放射線技師などについては職業被爆として別個に基準がさだめられており、50ミリシーベルトとなっています。つまり、500万円です。 これが高すぎるんじゃないか、と業界で議論になっているらしいですが、実際、世の中には職業上これだけの放射線を受けながら普通の生活を送っている人がいるのも事実です。(彼ら職業被爆者のガンや白血病の罹患率は私は知りません。) 10万円から500万円の間の一体どの額を財布の中にいくら入れておくかは、個人の判断だと思います。 私は、自分の住む地域で発表された放射線量を1マイクロ100円で毎日予算から引いていき、残高に注意していようと思います。尚、強い放射線に一気に当って10万円を一度に使い果たした時の害や、風に乗って放射性物質(発生源)が飛ばされて近くに来た場合のことはここでは考慮していません。 また、私は専門家ではありませんから、気温や湿度その他の影響については分かりませんし、この通りにしたからといって皆さんの安全を保証するものではないことをご了承下さい。 余談ですが、私は原発に立ち入る仕事を受ける前に、かなり細かい質問票を記入させられました。持病に関する質問はもちろんですが、過去数ヶ月にX線検査やCTスキャンを受けたことがあるか、その部位、過去に原発に立ち入ったことがあるか、放射線治療を受けたことがあるか、現在外傷があるか、など。 私の財布にいくら残っているか調べるためのものだったわけです。もし私が直近でCTスキャンを受けたり、その他の理由で残高が減っていたら、いくら私がやる気でも、その仕事は先方から断わられていたかもしれません。 因みに、原発内では絶対に転んで打ち身や切り傷を作らないよう、万が一怪我したら即医務室行きだと言われました。通訳のメモでたまに手を切ってしまうので、その日は細心の注意で臨み、終わる頃には精神的にクタクタでした。仕事の前には、吹き出物を作らないよう気を遣いました。 繰り返しになりますが、くれぐれも政府や東電の気休めを信用せず、自分の身は自分で守ってください。CTスキャンやレントゲンだって、今回安全の目安に使われてはいるものの、一年に受けられる回数に限度があることを忘れてはいけません。 なお、アメリカ政府は発電所から80km以上離れた場所に避難するよう自国民に勧告しました。イギリス、フランス政府は東京からも避難するよう勧告しました。日本政府は20〜30km圏に住む住民に窓を閉めて自宅から出ないよう指示しています。 #
by babelbabe
| 2011-03-17 06:14
| 社会・時事
2011年 03月 15日
私はイギリスに住んでいる時、原子力関係の仕事をよく引き受けていました。原子力発電所の燃料リサイクル施設へ立ち入ったこともあります。
発電所内に立ち入る仕事を受けるかどうか決める時、いろいろ放射能の人体への影響について勉強しました。 放射能は微量であれば、日常的に曝されているものであるからやみくもに恐れるべきものではないけれど、そのレベルが上がれば非常に危険な怖いものである、というのが結論でした。そのリスクを理解した上で、結局その仕事は受けましたが。 私は専門家ではありませんので、不正確な記述もあるかと思います。その点をご理解の上読んでください。ただ、考え方や対処の基本は正しいと思います。運悪く被爆してしまった時に思い出していただければ、何も知らないよりはましですし、また、皆さんが各自放射能について勉強していただくきっかけになればと思います。 放射能にはアルファ、ベータ、ガンマ、x線があり、それぞれ人体への影響のレベルやしかたが違います。 ざっくりですが、アルファ線とベータ線は服を通さなかったり、皮膚を通さなかったりで、大気中に浮遊しているものを吸い込んだり、傷があったりするとそこから体内に入って害を及ぼします。 一方、ガンマ線とx線は服はもちろん、身体も透過します。 これらの性質を踏まえ、総合的に人体への影響度を示したのがシーボルト(sv)という単位です。 放射線の量は距離の2乗に比例し、また、それを受けた時間に比例します。 普通に生活していても2.4μsv、レントゲン検査など含めると、誰でも5μsvくらいの放射線は受けているといいます。飛行機で移動しても宇宙と近くなるぶんだけ、多くなるらしいですし。 ちなみに、法令で定める年間の線量限度は1000μsv=1msvだそうです。 12日の午後1時に原発の敷地境界で1015μsv/hの放射線量が計測されたといいますから、その場に1時間いたら、単純に考えて1年分の許容限度に達し、それ以上いたら超えてしまうことになります。 そこから10倍離れれば、二乗ですから100分の一になります。よって、100時間いたら年間の限度に達する、ということになります。 もちろん、お酒と一緒で、同じアルコール濃度でも、テキーラを一気飲みするのとビールを一晩中飲むのとで、影響度は違いますから、そんなに単純にではありませんが、被害を少なくしようと思ったら、要するに、できるだけ離れる、そこにいる時間は短ければ短いほどよい、ということになります。 500msvになると人体へ影響度がで始めるらしいです。4000msvで半分の人が死亡、7000msvで100%死亡します。 ニュースの発表による原発付近の放射線量がどのくらいで、自分が今どのくらい離れていて、そこに何時間いるか、ということで、自分の危険度が大まかに分かると思います。そこに風向きなども影響してくるとは思いますが。 もう一つ大切なのは、「遮蔽」です。できるだけ肌の露出を避けることで、人体を透過しないタイプの放射線の害を最小化できます。ガンマ線は服を通しますので防ぎようがありませんが、ガンマ線を含んだ物質(ホコリなど)が肌に付着し更なる害を及ぼすことを防げます。屋内に避難すればなお理想です。 発電所内では専用のコートと靴を貸与されましたが、施設を出る前に露出していた手や顔をしこたま洗わされました。洗った手を試験機にかけ、合格しないと外に出られません。しっかり洗わないと合格しないと言われました。(逆に言えば、しっかり洗えば良いということになります。) 更衣室は靴箱兼ベンチで区切られており、中に入るとき、ベンチに腰を下ろし、まず靴を脱いで外側の靴箱に入れる。次にお尻を支点にしてくるっと回って内側の靴箱に入っている靴を取り出し、絶対に床にに足をつけないようにしながら靴をはく。出るときは逆です。 絶対に靴もコートも外に出さないように言われました。 これをもとに考えると、被爆したらそのときの服は捨て、シャワーを浴びて放射性物質はもちろん、放射能の付着したホコリなどを完全に洗い流すことが被害の最小化につながるとわかります。 もう一つ留意すべきはヨードの摂取です。ヨウ素は安定したものと、放射性物質とあります。ヨウ素は甲状腺に取り込まれ蓄積されますが、あらかじめ甲状腺のヨウ素量を飽和させることにより、放射性物質ヨウ素に接しても甲状腺に取り込まれなくなります。 ヨード剤は放射線防護剤として存在し、政府が支給すべきだと思いますが、自衛策としては、ケルプ(昆布)を原料とするサプリを摂ることでしょう。あるいは昆布そのものでも良いと思います。 日本の報道では、最悪の事態は免れたとのことですが、放射線量の測定はガンマ線を基準としています。アルファやベータ線は検出されにくいか、されないため、ガンマ線が下がったからといって安全とは限らないとイギリスのラジオで言ってました。炉心の過熱ではアルファ線が発生するらしいです。それが劣化してガンマ線に変わるとか、いろいろあるようですが。(私もそこまではわかりません。) 救援に駆けつけた米軍の軍艦が、放射線量の上昇を検知して何百メートルか沖に下がったという話です。日本ニュースでは(というか政府の発表では)放射線量の増加は見られないといっているのにおかしいですね。 化学工場の爆発により有毒物質が雨になって降る、という情報が流れたことを「デマ」とする風潮があるようです。タンクの中身は天然ガスだったから有害でない、とかいうことですが、タンクの材質や塗料、付近にあった施設の建材、それらがあれだけの高温で燃えたことにより、ダイオキシンや硫黄酸化物、その他有毒物質は発生していないと言い切れるでしょうか。 パニックを起こしたり、化学工場勤務者の自宅を襲ったり、という事態を恐れてのことかもしれませんが、現代の日本人はそんなにバカじゃないはず(と信じたい)。真実を伝え最悪に備えることの何が悪いのでしょう。 新型インフルエンザの時のヒステリックな対応と必要以上に恐怖を煽ったあの同じ政府のやる事か、と不思議に思います。 政府の発表や噂を鵜呑みにせず、最悪のケースに備えて避難すべき時はすべきです。その判断は最後は自分しかいないような気がしています。 #
by babelbabe
| 2011-03-15 05:53
| 社会・時事
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