Babel Babe's Babble - A Day in the Life of...
2011-04-13T22:04:29+09:00
babelbabe
会議通訳者が、仕事や生活のエピソードを交えつつ、ビジネスに役立つ英語表現や欧州事情を紹介します。8年の在英期間を経て現在は港区民、日英両方に拠点を持ち往復の生活。
Excite Blog
よかった話
http://babelbabe.exblog.jp/14600848/
2011-04-13T18:31:00+09:00
2011-04-13T22:04:29+09:00
2011-04-13T18:31:46+09:00
babelbabe
社会・時事
震災の直後だっただけに、震災の影響だと思っていた人も多かったと思いますが、実は関係ないみたいですね・・・
私はその時ちょうど海外出張中だったので、あまり詳しい情報もなく、ただ、本来ならもう入金されているはずのお給料が振り込まれておらず、みずほのニュースをネットで見ても、何の疑いもなく震災のせいだと思っていました。
フリーランスであちこちから少しずつ給料をいただいているので、「今月の生活費が~!!」というようなことはありませんでしたが、人によっては借金の返済ができず延滞料を取られてしまったり、不渡りを出してしまったり、かなりピンチに陥った方もいたのではないでしょうか。
そんななか・・・私のお友達のお姉さんが某みXX銀行でアルバイトしていて聞いた話ですが、今回は震災の影響だと思われたのが幸いし、直後にあまり怖い苦情の電話はかかってこなかったらしいです。以前、統合したときにトラブルがあったときはせっぱつまったお客さんに電話口でどなられたり、「つぶれてしまえ」とか、いろいろ罵詈雑言だったらしいのですが、今回は「いえいえ、大変でしょう。頑張ってください」という感じだったようです。(・・・でも、震災のせいじゃなかったんですけどね(苦笑)・・・)
以下、友達とお姉さんのやりとり。
友達 「だんなさんのお給料は大丈夫だったの?」
お姉さん 「それが別の銀行の口座を受取先にしてたから大丈夫だったのよ。」
友達 「そうなの?!よかったね!」
お姉さん 「うん。みXXじゃなくってよかった~」
といいつつ、ふと自分の仕事帰りの洋服の胸を見ると・・・
「みずほでよかった・キャンペーン」というバッジが付いてて爆笑。
ま・・・深刻な影響のあった人には笑いごとではないのですが・・・。
***
つい先日、妹宅に泊まりがけで遊びに行ったときのこと。
ホットカーペットが暖かかったので靴下を脱いで、そのまま置きっぱなしにして部屋に帰って寝てしまいました。
どこにでもありそうな黒い靴下だったので、翌朝、私がまだ寝ている間に、妹が見つけて「これは誰のだろう?」と考えてたら、4歳の甥っ子が「くんくん」として「これはあっこおばちゃん(私)のだよ」と判定・・・。妹は大爆笑。
わが甥ながらなんとチャレンジャーな・・・と思いつつ、何を根拠に私と判断?私のイメージってどんな匂い(臭い?)よ???・・・とちょっと気になって、満を持して自ら確認・・・そしたら「レノア」の香りだった。よかった~・・・レノアでよかった。
]]>
日課として、淡々と・・・
http://babelbabe.exblog.jp/14499200/
2011-03-26T23:29:00+09:00
2011-03-27T05:21:56+09:00
2011-03-26T23:29:56+09:00
babelbabe
社会・時事
****
東海村の件はこちらを参照のこと
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/東海村JCO臨界事故
****
「あれは可哀想だったな」
亡くなられた作業員の方々のことだと思ったら、所長さんのことでした。
すなわち、下に子会社、孫会社、ひ孫・・・際限なくあり、実際の作業に当たるのはそういった関係会社。しかも派遣社員であったり。彼らの行う一つ一つの作業は、親会社のコントロールの及ぶ状況ではない。にもかかわらず、何か事故があったら、国民の前で頭を下げなければならない。刑事責任も問われる。
それが可哀想だと。
Wikiの一部を抜粋します。
「JCOは「常陽」用の燃料を加工するにあたり、国の管理規定に沿った正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用しており、(中略)正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用した手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。」
今回、「関連会社」の作業員の方が被爆した事故の詳細を知り、その会話を思い出しました。
誤解を恐れず言うなら、私は、その所長さんを「可哀想」とした会話の主に同意します。
自分が着任した時、すでに何年もかけてそういう仕組みが出来上がっていて、改革の大ナタでも振るわない限り、何も変わらない。そんななか、たとえ沢山お給料をもらっていたからといって、何かあった時に全責任を負わされる。一個人に降りかかった「災難」と限定して考えれば、「可哀想」だと思います。
現場の慣例に従って作業をしていて命を落としてしまった作業員の方やそのご遺族の方は、もはや「可哀想」などというレベルのものではありませんが。
今回の被爆事故もまた、同じ問題を露呈してしまったのだと思います。
親会社にある情報が現場の作業員に伝わらない体制、そんななかで作業をしなければならない作業員の方々。そんななかで起きた事故の全責任を負わざるを得ない代表者。
日本の自動車メーカーが下請けや部品メーカーの品質や作業内容までも厳しく管理する、といったサプライチェーンはどうやら当てはまらないようです。
もし私たちが今後も原子力とともに生きていくことを選択するとしたら、これ以上「可哀想な」犠牲者を出さないためにも、こうした体質の改革も求めていかなければなりませんね。
もう一つ、この事故をきっかけに思いだしたことがあります。
それは、イギリスの原子力発電所へ仕事で立ち入ったときのことなのですが、事前の厳しい被爆量のチェック(過去のX線検査歴、原発訪問歴、など)や、敷地内での厳しい注意事項(傷や打ち身を絶対に作ってはならない、など)は以前に書いたとおりです。
そうやって入った原発内でしたが(この壁の向こうで使用済み燃料からウランとプルトニウムを分離しています、という所まで入りました)、当たり前ですが、放射能がそこにあることを全く五感で感じられないのです。
私は駆け出しの頃、よく石油化学工場の工場見学の通訳をしていました。その時は、危ない物は目に見えたし、臭いで分かりました。汚水や排ガス処理施設の最初の工程と最後で、明らかに排水や排ガスから「毒」が取り除かれているのが感覚でわかりました。
それと比較しても、原発内は非日常の世界でした。物々しい注意事項、警戒体制、そういった緊張感は肌で感じるのですが、それとはおよそ不釣り合いな放射能の存在感の無さは逆に不気味に感じました。
私たちの体は熱いやかんに間違って触ってしまったら反射的に手を引っ込めますが、放射能で汚染された水は、たとえ皮膚がただれてしまうような濃度であっても、しばらく浸かっていてもすぐに危険が分からないのですね。
ちなみに、イギリスの原発施設内では、ずっと「ピーッ ピーッ ピーッ・・・」とアラーム音がなり続けていました。(音は違いますが、117に電話すると聞こえてくる時報の音をイメージしてください。)
案内の方に、「この音が鳴っているうちは安全だと思ってください」と言われました。
外の世界の常識では、危険になったらアラームが鳴りますが、そこではアラームを鳴らすことで安全を知らせているのです。
毎秒ごとに時を刻むアラームの音が、警報システムの正常な動作の証であり、そこにいる全ての人の安全の証であるということ・・・これには衝撃を受けました。
オフィスなどは、安全で当たり前の空間。だから危険が発生したときだけ警報を鳴らして知らせる。一方、原発施設内は、毎秒毎秒、安全を証明することが求められていた環境でした。
政府は、もしかするとこういった発想の転換をしない限り、現在の混乱は避けられないかもしれません。
ちなみに、ネットで飛び交う様々な意見は、現在、安全を訴える派も、危険を訴える派も、そのどちらが正しいかは置いといて、一つ共通して欠けていることがあると思います。それは、「危険を受け入れる」ということです。
安全派は、危険でないから安心しなさい、と言うし、危険派は、危険だ、というばかりで、それを受け入れて生活していく方法を示してない。今、危険を訴えるとネットで叩かれたりしやすいそうですが、無理もありません。危険派の主張は行き場がない。じゃあ明日からどうしろっていうの?という話になってしまう。
いっぽう、放射能は目に見えないし、臭いも味もない。だから、我々の日常生活よりずっと危険な場所にいるはずの現場の作業に当たる人たちですら、いつしか効率優先で手順を変えたり、身近な体験に基づく安全感覚で作業に当たってしまう。
私たちも、目に見えない不安を相手にしているうちに、いつしか注意するのに疲れてくる日が来るのではないか、と思います。それは私も同じです。
体感できない以上、毎朝起きたらネットで水道水と大気の放射性物質のレベルをチェックし、東電と経産省と厚労省のホームページで発表事項がないか確認し・・・、みたいなことを日課として「淡々と」、自分で自分の安全のアラーム音を鳴らしていかなければならないのかな、と自分に言い聞かせています。
今回被爆された作業員の方の被害が少しでも軽いことを願っています。日本国外を含め、世界で最高の治療を受けられるよう祈っています。]]>
読むクスリ
http://babelbabe.exblog.jp/14492555/
2011-03-25T19:04:00+09:00
2011-03-26T06:38:13+09:00
2011-03-25T19:04:16+09:00
babelbabe
社会・時事
今日はロンドンにあるブリティッシュライブラリーに行っていました。といっても、調べ物ではありません。部屋にこもって地震や放射能のことばかり調べてないで、たまには外に出てみたら、という周囲の勧めによるものです。
そこには小さな展示室があり、それが素晴らしいというので行ってみました。
単なる気分転換のつもりだったので、今日のことを書くとしてももっと先のことになるだろうと思っていたのですが、軽い気持ちで出かけたにもかかわらず、大きく心を動かされました。タイトルの通り、なんだか心の救いを得られたような気がしましたので、今日はそれをおすそわけしたいと思います。
ブリティッシュライブラリーの展示室には、本にまつわる様々な歴史的に貴重な史料が収められています。
文学者や作家のオリジナルの原稿、偉人の日記や手紙、文机、中世の各国の宗教の経典、地図、手書きの楽譜、その他・・・
それらを解説とともに眺めていたら、私たちが抱えている感情や情熱、悩みや喜びは今も昔も変わらずあったものなんだな、としみじみ思いました。
中でも心に響いたのは、スコットの日記でした。南極到達を目指し、志半ばで命を落とした探検家です。スコットとライバルのアムンゼンの話は有名ですよね。イギリス人ということもあり、ここイギリスではみな断然スコットびいき。スコットは国民的な悲劇の英雄です。
仲間を一人一人失い、物資も使い果たしつつあり、餓えと寒さと絶望で、鉛筆書きの筆跡はかろうじて文字の形を保ち読むのもやっとです。
その彼が亡くなる前の最後の日記に、足をひどい凍傷にやられてしまった仲間がブリザードの中を出て行った時のことが書かれています。もう楽になりたくて、あるいは足でまといにならないよう死ぬつもりで出て行ったのか、近くにあるはずの物資の基地を探しにいったのか、いずれにしても、大吹雪の中テントを出るのが自殺行為であることは確かです。それを知っていたスコットは仲間を止めもせず、こう淡々と綴っています。"He said, I am just going outside and maybe sometime, and he left" (彼は「ちょっと出かけてくる。しばらくかかるかもしれないが」と言って出ていった。)
数日前、自衛隊の特殊化学防護隊(志願制)の方のご家族の書かれたと思われる文章がメールで回ってきました。隊員の方は、現場に赴く日、普段と同じようにして家を出ていった、と書かれていました。そのときご家族に残した言葉は、スコットの同僚とほぼ同じものでした。
また、現在の状況の危険かどうか、避難や疎開するかなどで、友人やご家族と意見が分かれてしまって悩んでいる方もいるかとおもいます。進化論のダーウィンの手紙を見ると、彼もまた友情と信念の間の板挟みになって悩んでいたのだと教えてくれます。
「種の起源」を書き上げ、出版に先駆け刷り上がってきた本をケンブリッジ大学で地理学の教鞭を取る友人に送って感想を求めたところ、敬虔なクリスチャンの友人がショックを受け激怒するやら嘆き悲しむやら・・・
(今でこそ常識となっている進化論ですが、「神がアダムを自らに似せて作り、アダムの肋骨からイブを作った」と誰もが本気で信じていた時代に「猿から進化した」などというのは世界中を敵に回すようなとんでもないことだったのです。)
そこでダーウィンは友人にお詫びの手紙を出します。その中には友人の心を痛めてしまったことを詫びるとともに、「それでも私は自分の学説に自信を持っており、その気持ちに変わりはありません」と書いてありました。
中世の書物はもちろんですが、オスカー・ワイルドやバージニア・ウルフ、ブロンテ、オースティン、彼らの原稿をみていると、文字が小さいことに驚きます。手書きなのに新聞の文字みたいに小さい。きっと昔は紙が高級品で、そういう書き方が当たり前だったのでしょう。
それにくらべ、私の部屋のコピー用紙の山はなんだろう。紙を大切に使いながら何百年何十年と受け継がれるような言葉を紡いでいた先人の偉業に頭が下がるとともに反省することしきりです。
とはいえ、作家も人間。せっかく書いた文章をぐぁーーっと段落まるごと波線で消してあったりすると、なんだか親近感湧きます。また、might をwould、 The をTheirに書きかえたり、コンマを付けたしたり・・・と一度書いた文章を何度も細かく書き直した生々しい跡の残る原稿は、作家の細部にわたる心血を注いだ仕事ぶりを伝えてくれます。
そんな展示室を出ると、あちこちでノートパソコンを広げている学生さんや旅行者たち。彼らは世界中とつながっていて、私もそのうちの一人です。
なんというか・・・昔は偉い坊さんやら一部のインテリだけのものだった「情報」が、マスメディアとして一般に広まり、そして今やインターネットの登場うとともに、発信・受信両方が万人のものとなった。今は本当の意味で情報にデモクラシーが訪れているんだなぁ、と実感しました。
ブリティッシュ・ライブラリーの外には、新旧問わず著名人の名言が看板で掲示されており、駅からライブラリーへ向かう途中、信号待ちの私の目に真っ先に入ってきたのが次の言葉でした。
"Knowledge is of two kinds. We know a subject ourselves, or we know where we can find information on it. Samuel Johnson"
「知識には二種類ある。それについて自分で知っているということ、あるいは、それについての情報を見つけることのできる場所を知っているということ(サミュエル・ジョンソン)」
図書館のことなんでしょうけれど(あるいは、この方は辞書を編纂した学者のようなので、辞書のことかもしれない)、それはネットの世界でも同じですよね。
真実を知ることのできる場所を知ることができれば、それは真実を知ったと同じくらいの力なのでしょう。そして、その大切さは、未曽有の情報デモクラシーの中でより一層高まっているのだと思います。
ブリティッシュ・ライブラリーには、ビートルズ関係の展示もいくつかあります。
名曲の歌詞が「そこいらの紙きれ」に書かれてたりするのを見ると、アイデアが舞い降りてきた時、必ずしも近くにちゃんとした紙がなかったりするのは誰でも同じなんだな、と思います。
Helpの歌詞の書かれた広告の裏みたいな紙は、ジュリアン・レノンのものと思われる赤ちゃんの落書きがあったり、A Hard Days Nightの歌詞は、ジュリアン一歳の誕生カードの裏に書かれています。
音楽といえば、外に掲げてあったこの言葉も心をに響きました。
"Where words fail, music talks."
(言葉にできないとき、音楽が語り始める)
デンマークの詩人・作家のアンデルセンが残した言葉です。言葉を生業としていた彼ですら言葉を失い、音楽に救いを得た経験があったのでしょうか。
なかなかロンドンの観光名所として名前の挙がりにくいマイナーな場所ですが、ロンドン市内の駅からも近く便利ですので、ぜひ機会があれば足を伸ばしてみてください。
]]>
私が放射能について知っている限りのこと2
http://babelbabe.exblog.jp/14444170/
2011-03-17T06:14:17+09:00
2011-03-17T06:14:13+09:00
2011-03-17T06:14:13+09:00
babelbabe
社会・時事
なぜなら、被爆量において時間や回数も重要な要素だからです。
X線検査の照射量は一枚あたりの数値です。照射時間は数秒で、普通の人は年に1,2回しか受けませんよね。
この比較は、隣国で行われた核実験や事故による放射能漏れなど一回こっきりの事象には有効だとは思いますが、今回のように同様の事態が今後も継続または再発する恐れのある場合には適切でないと考えます。
電力会社の方は、もう二度と爆発を起こさない、あってはならない、という決意で必死に取り組んでおり、それが発表の根底にあるのかもしれませんが、それが、二度と起きないことの保証にはなりません。
法律で定める一年間の許容被爆量は1000マイクロシーベルトです。例えるなら、1マイクロ100円として、100円玉が1000枚、つまり10万円財布にあると考えて下さい。それが一年間に使える予算です。
週に10円しか使わない人がむやみに心配したりパニックを起こしたりするのはナンセンスですが、買い物と同じで、一つ一つの値段が安いからといってむやみやたら買っていれば10万円はいつか使い果たします。
原発から数百キロ離れたところにいる私達は、「現在たまに数円ないし数十円の出費があり、今後もしかしたら数千、あるいは数万円単位の出費の恐れがある」という状態かもしれません。数十円出て行くたびにうろたえる必要はないけれど、もしもにの出費に備えて無駄遣いは許されません。
節約の方法としては、肌の露出を避ける、マスクを着用する、帰宅したら外でコートの埃を払ってから中に入る、帰宅したらすぐシャワーを浴びる、発生源から離れる、などがあると思います。
特に、発生源から離れることは私達が感じている以上に効果があります。なぜなら、私達の恐怖心は距離に比例しますが、放射線の危険は距離でなくその2乗に比例するからです。
50キロ離れたところにいる人が1000円使うとき、150キロ離れたところにいる人は111円、250キロ離れたところにいる人は40円。離れるに越したことはありません。
ちなみに、原発勤務者や放射線技師などについては職業被爆として別個に基準がさだめられており、50ミリシーベルトとなっています。つまり、500万円です。
これが高すぎるんじゃないか、と業界で議論になっているらしいですが、実際、世の中には職業上これだけの放射線を受けながら普通の生活を送っている人がいるのも事実です。(彼ら職業被爆者のガンや白血病の罹患率は私は知りません。)
10万円から500万円の間の一体どの額を財布の中にいくら入れておくかは、個人の判断だと思います。
私は、自分の住む地域で発表された放射線量を1マイクロ100円で毎日予算から引いていき、残高に注意していようと思います。尚、強い放射線に一気に当って10万円を一度に使い果たした時の害や、風に乗って放射性物質(発生源)が飛ばされて近くに来た場合のことはここでは考慮していません。
また、私は専門家ではありませんから、気温や湿度その他の影響については分かりませんし、この通りにしたからといって皆さんの安全を保証するものではないことをご了承下さい。
余談ですが、私は原発に立ち入る仕事を受ける前に、かなり細かい質問票を記入させられました。持病に関する質問はもちろんですが、過去数ヶ月にX線検査やCTスキャンを受けたことがあるか、その部位、過去に原発に立ち入ったことがあるか、放射線治療を受けたことがあるか、現在外傷があるか、など。
私の財布にいくら残っているか調べるためのものだったわけです。もし私が直近でCTスキャンを受けたり、その他の理由で残高が減っていたら、いくら私がやる気でも、その仕事は先方から断わられていたかもしれません。
因みに、原発内では絶対に転んで打ち身や切り傷を作らないよう、万が一怪我したら即医務室行きだと言われました。通訳のメモでたまに手を切ってしまうので、その日は細心の注意で臨み、終わる頃には精神的にクタクタでした。仕事の前には、吹き出物を作らないよう気を遣いました。
繰り返しになりますが、くれぐれも政府や東電の気休めを信用せず、自分の身は自分で守ってください。CTスキャンやレントゲンだって、今回安全の目安に使われてはいるものの、一年に受けられる回数に限度があることを忘れてはいけません。
なお、アメリカ政府は発電所から80km以上離れた場所に避難するよう自国民に勧告しました。イギリス、フランス政府は東京からも避難するよう勧告しました。日本政府は20〜30km圏に住む住民に窓を閉めて自宅から出ないよう指示しています。
]]>
放射能について私の知っている限りのこと
http://babelbabe.exblog.jp/14432727/
2011-03-15T05:53:19+09:00
2011-03-15T05:53:23+09:00
2011-03-15T05:53:23+09:00
babelbabe
社会・時事
発電所内に立ち入る仕事を受けるかどうか決める時、いろいろ放射能の人体への影響について勉強しました。
放射能は微量であれば、日常的に曝されているものであるからやみくもに恐れるべきものではないけれど、そのレベルが上がれば非常に危険な怖いものである、というのが結論でした。そのリスクを理解した上で、結局その仕事は受けましたが。
私は専門家ではありませんので、不正確な記述もあるかと思います。その点をご理解の上読んでください。ただ、考え方や対処の基本は正しいと思います。運悪く被爆してしまった時に思い出していただければ、何も知らないよりはましですし、また、皆さんが各自放射能について勉強していただくきっかけになればと思います。
放射能にはアルファ、ベータ、ガンマ、x線があり、それぞれ人体への影響のレベルやしかたが違います。
ざっくりですが、アルファ線とベータ線は服を通さなかったり、皮膚を通さなかったりで、大気中に浮遊しているものを吸い込んだり、傷があったりするとそこから体内に入って害を及ぼします。
一方、ガンマ線とx線は服はもちろん、身体も透過します。
これらの性質を踏まえ、総合的に人体への影響度を示したのがシーボルト(sv)という単位です。
放射線の量は距離の2乗に比例し、また、それを受けた時間に比例します。
普通に生活していても2.4μsv、レントゲン検査など含めると、誰でも5μsvくらいの放射線は受けているといいます。飛行機で移動しても宇宙と近くなるぶんだけ、多くなるらしいですし。
ちなみに、法令で定める年間の線量限度は1000μsv=1msvだそうです。
12日の午後1時に原発の敷地境界で1015μsv/hの放射線量が計測されたといいますから、その場に1時間いたら、単純に考えて1年分の許容限度に達し、それ以上いたら超えてしまうことになります。
そこから10倍離れれば、二乗ですから100分の一になります。よって、100時間いたら年間の限度に達する、ということになります。
もちろん、お酒と一緒で、同じアルコール濃度でも、テキーラを一気飲みするのとビールを一晩中飲むのとで、影響度は違いますから、そんなに単純にではありませんが、被害を少なくしようと思ったら、要するに、できるだけ離れる、そこにいる時間は短ければ短いほどよい、ということになります。
500msvになると人体へ影響度がで始めるらしいです。4000msvで半分の人が死亡、7000msvで100%死亡します。
ニュースの発表による原発付近の放射線量がどのくらいで、自分が今どのくらい離れていて、そこに何時間いるか、ということで、自分の危険度が大まかに分かると思います。そこに風向きなども影響してくるとは思いますが。
もう一つ大切なのは、「遮蔽」です。できるだけ肌の露出を避けることで、人体を透過しないタイプの放射線の害を最小化できます。ガンマ線は服を通しますので防ぎようがありませんが、ガンマ線を含んだ物質(ホコリなど)が肌に付着し更なる害を及ぼすことを防げます。屋内に避難すればなお理想です。
発電所内では専用のコートと靴を貸与されましたが、施設を出る前に露出していた手や顔をしこたま洗わされました。洗った手を試験機にかけ、合格しないと外に出られません。しっかり洗わないと合格しないと言われました。(逆に言えば、しっかり洗えば良いということになります。)
更衣室は靴箱兼ベンチで区切られており、中に入るとき、ベンチに腰を下ろし、まず靴を脱いで外側の靴箱に入れる。次にお尻を支点にしてくるっと回って内側の靴箱に入っている靴を取り出し、絶対に床にに足をつけないようにしながら靴をはく。出るときは逆です。
絶対に靴もコートも外に出さないように言われました。
これをもとに考えると、被爆したらそのときの服は捨て、シャワーを浴びて放射性物質はもちろん、放射能の付着したホコリなどを完全に洗い流すことが被害の最小化につながるとわかります。
もう一つ留意すべきはヨードの摂取です。ヨウ素は安定したものと、放射性物質とあります。ヨウ素は甲状腺に取り込まれ蓄積されますが、あらかじめ甲状腺のヨウ素量を飽和させることにより、放射性物質ヨウ素に接しても甲状腺に取り込まれなくなります。
ヨード剤は放射線防護剤として存在し、政府が支給すべきだと思いますが、自衛策としては、ケルプ(昆布)を原料とするサプリを摂ることでしょう。あるいは昆布そのものでも良いと思います。
日本の報道では、最悪の事態は免れたとのことですが、放射線量の測定はガンマ線を基準としています。アルファやベータ線は検出されにくいか、されないため、ガンマ線が下がったからといって安全とは限らないとイギリスのラジオで言ってました。炉心の過熱ではアルファ線が発生するらしいです。それが劣化してガンマ線に変わるとか、いろいろあるようですが。(私もそこまではわかりません。)
救援に駆けつけた米軍の軍艦が、放射線量の上昇を検知して何百メートルか沖に下がったという話です。日本ニュースでは(というか政府の発表では)放射線量の増加は見られないといっているのにおかしいですね。
化学工場の爆発により有毒物質が雨になって降る、という情報が流れたことを「デマ」とする風潮があるようです。タンクの中身は天然ガスだったから有害でない、とかいうことですが、タンクの材質や塗料、付近にあった施設の建材、それらがあれだけの高温で燃えたことにより、ダイオキシンや硫黄酸化物、その他有毒物質は発生していないと言い切れるでしょうか。
パニックを起こしたり、化学工場勤務者の自宅を襲ったり、という事態を恐れてのことかもしれませんが、現代の日本人はそんなにバカじゃないはず(と信じたい)。真実を伝え最悪に備えることの何が悪いのでしょう。
新型インフルエンザの時のヒステリックな対応と必要以上に恐怖を煽ったあの同じ政府のやる事か、と不思議に思います。
政府の発表や噂を鵜呑みにせず、最悪のケースに備えて避難すべき時はすべきです。その判断は最後は自分しかいないような気がしています。
]]>
笑いの構造
http://babelbabe.exblog.jp/11235036/
2009-09-28T04:50:00+09:00
2009-09-28T06:51:18+09:00
2009-09-28T04:50:04+09:00
babelbabe
その他
ここでは、小島よしおやレーザーラモンHGのような、「滑稽なしぐさで笑いを誘う」パターンの芸風や下ネタは省かせていただき、漫才でもトークでも落語でもいい、あくまで話術として「笑わせる」ことをテーマに考えたい。(「笑われる」のと「笑わせる」のは違う。)
(じっさい、前者のタイプの芸人が長続きした試しはない。以前「行列のできる法律相談所」という番組で、島田紳介が、人気を長持ちさせる秘訣を尋ねた若手芸人に「お前ら客席見渡してみ。同年代の奴らがわろとったらまだまだ安泰や」と言っていた。同年代の客が面白いと思いついてきてくれることで一緒に成長できる、というのだ。紳介も小島よしおを例に出し、「あいつわろとんの小学生だけやろ?」と。なるほど、と思った。)
さて、話が横道にそれたが、ギャグやジョークに対して笑うときの心の動きは、こうなっているのではないか、と思う。
意外・驚き →(0.3~0.8秒後)→ なるほど!あるある!!
まず不意を突いておいて、次の瞬間に納得させるのだ。この2ステップのいずれが欠けても、笑いにはつながらない。そして、両者のギャップが大きければ大きいほど面白さはアップする。
不意を突かれる、これは心の状態で言うと「混乱」や「不安定」あるいは「緊張」である。次の瞬間、納得することによって秩序と緩和を取り戻す・・・これが快感なのだ。この快感の部分だけを取れば、騙し絵を眺めているうちに突如マリリン・モンローの顔が浮かびあがってきたときの喜びに近いかもしれない。
誰もなかなか思いつかない、でも言われてみたらなるほど!、ということが言えればたいてい笑いをとることができる。漫才やコントの前振りはオチでの意外性を高めるためのツールなのだ。
柳原加奈子の芸は、普通にコンビニや携帯ショップで見れば当たり前のことを、彼女がやるから面白いのである。本物の店員でもない彼女がTV局のスタジオでそれをすることの意外性がまずありきで、彼女の再現する店員の言動が本物に近ければ近いほど「なるほど!あるある!!」という納得の気持ちが強くなるのだ。
(嘘だと思ったら、今日からお笑い番組をそういうつもりでご覧になってみてほしい。ほぼ8割はこのパターンに該当するはずである。)
ちなみに、この「笑い」を同時通訳するのは、普通の話を通訳する以上に難易度が高い。
通訳も話し手と同じく送り手であると同時に、聴衆と同じ聞き手でもある。最初からジョークと分かって構えていればよいが、そうでない場合、この前半の「意外性」に遭遇した時点で、なんとかつじつまを合わせて理にかなった解釈をしようと一瞬頭がフル回転する。(運転中にナビの地図が実際とちょっと違ってたりしたときに「わーどうしよ!」と思う、でも後ろから車が来ているから走り続けないといけない、みたいな心境とよく似ているかも。)
そして、オチで「納得」した瞬間、それをうまくオリジナルと同じだけコンパクトに、その面白さ(=意外性と納得のギャップの妙)を文化の壁を越えても分かるよう伝えないといけない。
スピーカーが突然わけのわからないことを言ったら反射的に「ジョークかも」と思うよう普段から心がけることでかなりの対策にはなるが、ジョークやギャグを言われてすぐ理解して笑える人と、人より数秒遅れて面白さに気づいて笑う人がいたなら、通訳向きなのは明らかに前者であることは間違いないだろう。
]]>
これがホントの"Lost in Translation"?!
http://babelbabe.exblog.jp/11220648/
2009-09-26T09:35:00+09:00
2009-10-14T19:48:44+09:00
2009-09-26T09:35:22+09:00
babelbabe
通訳・英語
しかし・・・何といっても今日一番の話題をさらったのは、リビアのカダフィ大佐の演説であろう。
「インフルエンザはどこかの軍の施設から故意に流出したのだろう」、「かつてイスラエルに国土を与えて建国させたのだから、タリバンにも同じことをしてやればいいじゃないか。ちょうどバチカンのような感じの国を作るのだ」、「地雷は防御のための武器だ。踏みにくる奴が悪い。侵略しようとすれば殺すにきまっとるだろう」などなど・・・すごい語録が満載だ。
かつて新宿の駅裏でホームレスのおじさんが酔っ払ってクダまきながら政治論を語っていたが、メチャクチャなんだけどよく聞いてみると実は核心を突いてたりして・・・それに近い感想を覚えたのは私だけだろうか(笑)。
しかし、大佐のスピーチについて、その内容以上に私に衝撃を与えた出来事が。
通訳者がスピーチを訳している途中で力尽きて倒れてしまったのである!
本来発言者の持ち時間は原則15分なのだそうだが、大佐のスピーチは94分にも上った。(ちなみに過去最長記録は1960年にキューバのカストロ議長の4時間半)
本来は国連御用達の通訳者が通訳するところを、カダフィ大佐は自前の通訳を使いたいと主張。(きっと標準のアラビア語ではなく、方言で話すのだろう、と予想されていたが、結局は標準語のスピーチだった。)
「中東問題は、いまのようなイスラエルとパレスチナ2国家の共存なんかでは解決せんのだから、いっそのこと、そこに一つ国を作ればいいのだ。そしてその国の名前は・・・「イスラチナ( Isratine )」にすればよかろう」というくだりで、「もうこれ以上無理ですーー」という言葉を最後に崩れ落ちてしまったらしい。その時点で90分経過。最後の4分は国連アラブ部の課長が同通ブースに駆け込んで交代したという。
ニュースには書かれていないが、おそらく同時通訳で、しかも1人で延々やらされていたのではないか、と推察される。さらに想像するに、たぶん「割り当て時間は15分→ならば1人で十分」という憶測の元、手配されたのではないだろうか・・・。
ご存じの方も多いと思うが、同時通訳を日本語⇔英語で行う場合、集中力の限界を考慮し、2~3人でチームを組み15分~20分で交代することになっている。語順その他が似ている言語同士の場合はもう少し長いようであるが、それでも30分~40分ではないかと思う。(国連の通訳者の連続の最長許容時間は40分という。)アラビア語と英語の関係は分からないが、英語とフランス語の間で最長40分なのだから、もっと短いに違いない。
(その雰囲気を分かっていただくには、いますぐTVを付けてニュースでもトークショーでも、日本語を聞きながら数秒間遅れてそのままそっくり日本語のまま繰り返して呟いていただくとよい。2、30分後には疲れてついていけなくなってくるはず。それを英語に訳しながらやっていると思っていただければ。)
それにしても、実際、本来同時通訳の仕事といえば複数の通訳を手配するのが常識のなか、派遣会社から「同通が必要なスピーチは15分間だけだから一人でお願いします」ってな依頼は、企業の予算が厳しい昨今、ありがちな話である。それを真に受けて引き受けたはいいが、結局スピーチが延々長引いて1時間半って・・・。こう書いてみるとなんだかありえなくもない話で、全くもって他人事とは思えない。
これをきっかけに、「一人で長時間同通をさせると通訳者は力尽きて倒れる」という認識が浸透してくれることを願ってやまない(笑)。
P.S. 見方を変えれば、「90分までは死なない」と実証したようでもあり・・・(怖っ)]]>
フレンチ・ミステリー
http://babelbabe.exblog.jp/11189157/
2009-09-22T07:19:00+09:00
2009-10-14T20:45:46+09:00
2009-09-22T07:19:06+09:00
babelbabe
通訳・英語
たとえば英語でいう「シャワーキャップ」も、bonnet du douche (ボネ・ドゥ・ドゥーシュ)と言われたら、なんだかとてもロマンチックに聞こえてしまうのは気のせいだろうか(笑)
そんな中、一昨日ベルギー人と一緒に仕事をしていて教えてもらったのだが、綿菓子をフランス語では・・・
ぬぁんと・・・バーバパパ、というんだそうである!!
綴りはBarbe à papa。barbeは英語でいうbeard(ひげ)という意味。
その形状から、綿菓子のことをパパのひげ、というらしい。個人的にはパパっていうよりおじいちゃんのひげではないか、と突っ込みたいが。
ちなみに、例のマンガのバーバパパは、ひげ@父さんと綿菓子をかけてBarbapapaというタイトルになっているそうで。Wikiで調べてみたら、ちゃんと載っていた。
バーバパパ・マニア(いるのか?)にしてみれば有名な話なのであろう。
しかし・・・
では、バーバママはどう説明してくれるのか??(ひげ?ママ??…教えてママン・・・)
ベルギー人とは「フランスではまあ色々アリなのだろう(笑)」という結論となった。
]]>
English Weather
http://babelbabe.exblog.jp/11143708/
2009-09-16T07:12:59+09:00
2009-09-16T07:13:05+09:00
2009-09-16T07:13:05+09:00
babelbabe
社会・時事
今日は一日中、雨がしとしと降ったり、ざーざー降ったり・・・の繰り返しで過ぎていきました。まぁ、最悪の一日ってことで。
仕事帰りに地下鉄を乗り換えた駅にてこんなアナウンス・・・
「本日はイギリス的天候のため、足もとが大変滑りやすくなっております。ホームや階段では十分ご注意ください。」
その自虐っぷりに・・・結構ウケました。
]]>
携帯電話「マナー」の真の犠牲者
http://babelbabe.exblog.jp/11009942/
2009-08-31T02:15:00+09:00
2009-09-04T10:18:16+09:00
2009-08-31T02:15:32+09:00
babelbabe
社会・時事
携帯電話のペースメーカーへの影響について、通話していようが待機状態であろうが、電波や電磁波を発していることには変わりないので、そもそも意味のない議論ではあるが・・・と前置きしたうえで言うと、携帯がペースメーカーに影響を及ぼすのは15cm以内の距離にある場合のみ。また、現在はペースメーカーの製造側が携帯電話対策を施しているとかで、実質的には問題がないのだそうだ。
私は携帯電話会社が携帯メール(=メール込みの料金体系)を普及させるために、メールしか使えない環境を人為的に作り出したのではないか、と勘繰っている。
それを証拠に、ロンドンの地下鉄内では携帯電話の基地局アンテナが設置されていないため、構内・車内ともに圏外となってしまうのであるが、東京の地下鉄ではしっかり携帯の電波は受信できるようになっている。私が渡英する前に東京に住んでいた頃には駅で停車時にも車内は圏外だったから、ここ数年の間に新たにアンテナを増設したに違いない。何のため?・・・メール送受信のために、であることは言うまでもないだろう。
ちなみに、この「ペースメーカー使用のお客さまのために優先席付近では電源をお切りください」というアナウンスのせいで、皮肉なことにペースメーカーを使っている人たちに実害が生じているという。
実際にはほぼ問題ないにもかかわらず、ペースメーカーのそばで携帯が使えない、というイメージが広がり定着してしまったがために、就職の際に支障をきたしているという。パソコンやその他の電子機器を使用する職業にも、ペースメーカーを使用していることが採用側に知られると、非常に不利な状況となってしまう。
ペースメーカーを付けているくらいだから体力的にも肉体労働は難しいだろうし、そうなるとデスクワークの仕事を選びたいところだが、パソコンを使わないデスクワークの仕事など、昨今無いに等しい。
「みんなそうしている」という言葉に弱い日本人であるが、「マナー」という言葉も同じような意味を持つように思う。「みんなが迷惑している」という一言は、時に人の心を操る強力なツールとなりうる。
]]>
真実を求めて・・・
http://babelbabe.exblog.jp/10908835/
2009-08-20T02:22:39+09:00
2009-08-20T02:22:38+09:00
2009-08-20T02:22:38+09:00
babelbabe
社会・時事
ではなぜ3分のまま進化しないのか。
それは、この3分というのが待ち時間として長すぎず短すぎず、絶妙だからだという。
3分の間に膨らむ期待感・・・旨さ倍増。
空腹ならなおさらである。
商品力を高めるために、ある意味わざと3分待つように作ってあるのだそうである。
そんな風にして物事には必ず裏に真実があるんだなぁ。
***
いつも電車で不思議に思うこと。
なぜ携帯がNGなんだろう。
そんな国は日本くらいじゃないだろうか。
イギリスもフランスもドイツもオランダも、みんなOKである。
大声で傍若無人に話したら迷惑なのは、電話とは関係ない。相手が目の前にいたって同じこと。
ペースメーカーを使っている人を守るため・・・??
でも携帯が原因でペースメーカー止まって死んでしまった人の話なんて聞いたことありますか?そんな訴訟がユーザー相手であれ携帯電話会社であれ、いまだかつてあっただろうか?少なくともニュースにはなっていない。携帯電話会社がもみ消しているのか??
音声通話だけでなく、メールだってヤバさは同じ。じっさい、どんな人がいるか分からない電車の中で、いくら優先席の周りが携帯OFFだって決まっていたってみんなが守ってくれる保証はない。それに、同じ車両内でどこからどこまでが危険ゾーンでどこからが安全といえるのか??ホームや人ごみではどうするのか?もし私がペースメーカー付けているとして、携帯使ってる奴のそばに寄ったとたん死ぬ可能性があると分かっていたら絶対恐ろしくて電車はおろか一歩も家を出られない。
そもそも、いくら便利だとはいえ、人の命を奪う可能性のあるような商品がこれだけ世の中に氾濫していてよいのか??
今日、そんなことをツラツラ思いながら、地下鉄に乗っていたときのこと。目の前に座っている一列ほぼ全員、みーんな携帯メールをしていた。
今や携帯をメールなしで使っている人なんていないだろう。そんなことしたら電車に乗って待ち合わせの一つもできやしない。いまどき通話オンリーの契約してるなんて人いないんじゃなかろうか。
よーく考えてみたら、車内の携帯通話禁止は少なくとも携帯メールの普及に一役買っているはずである。どうりで携帯電話会社が根拠のない「マナー」を喧伝するわけだ。
ここにもまた真実が・・・ ]]>
使えるイディオム??!
http://babelbabe.exblog.jp/10856328/
2009-08-14T02:41:52+09:00
2009-08-14T02:41:55+09:00
2009-08-14T02:41:55+09:00
babelbabe
通訳・英語
「努力なくして得られるものは無い」
・・・という意味の有名な格言である。
日本語のことわざでは「蒔かぬ種は生えぬ」だそうだ。
それはさておき、あるイギリスのトーク番組に、有名なヒマラヤ登山家のエド・ヴィースタースが出演していたときのこと。
「よくぞまあ、空気の薄いところで酸素ボンベも無しで耐えられますね」という司会者の質問に対し、彼が言ったこんな一言。
No brain, no pain.
もちろん観客は大爆笑。
私からも座布団3枚進呈!!(え、いらない?!)
直訳するなら、「脳ミソの無い奴は痛みも感じない」。
高山病になるとひどい頭痛がするらしいが、「僕は頭が空っぽなので、痛みを感じないんです」という謙遜の意も込められたジョークである。
「馬鹿は風邪を引かない」の訳としても使えそうである。
残酷な犯罪を犯して反省の気配も無いような奴に対しても「心の痛みが分からない」という意味で使えるかもしれない。]]>
アサヒ成功の裏の真実?!
http://babelbabe.exblog.jp/10841220/
2009-08-12T10:42:00+09:00
2009-08-12T10:46:44+09:00
2009-08-12T10:42:11+09:00
babelbabe
社会・時事
スーパードライ 20年連続1億箱突破!!
(※ 1箱は大びん633ml×20本換算。)
2001年(1999年という説も?!)、アサヒビールがビール出荷首位で、キリンを抜いてトップシェアに躍り出た。45年ぶりの快挙だった。
ちなみに、スーパードライが「コクがあるのにキレがある」のキャッチコピーで新発売されたのは1987年。
この約10年間の間に、アサヒで一体なにが起こったのか?!
アサヒの成功を、スーパードライという商品そのものや、そのCM戦略と結びつけて語る人は多い。グーグルで検索すれば、無数のマーケティング理論にヒットする。
しかし、その裏にある「本当の理由」を知る人は少ない。
その理由とは・・・
ズバリ、あのうんこビル・・・失礼、浅草の本社ビルなのである!!
現在の本社ビル(写真参照)が完成したのは1989年。スーパードライ発売の二年後のことである。
この本社ビル、風水学に基づいて建てられたものだそうだ。当時の経営陣の中に、風水にかなり凝っている人がおり、おかかえの風水師がいて、何かとアドバイスしていたという。
あの「炎」をモチーフとした屋上のオブジェ、尖った部分が、なんと当時ナンバーワンだったキリンの本社の方角を向いていたらしい。
風水学的に、尖った物が向けられているというのは、きわめて良くないこととされる。危険なマイナスの「気」が生まれ、運気が下がってしまうからだ。
そう。あの「金斗雲」には、打倒キリンを目指す、当時のアサヒの思いが込められているのだ。
当時、キリンの社内でこれに気付いた人が、反射板か何かでマイナスの「気」を跳ね返すなど、対策を講じたほうが良いのではないか、と幹部に進言したのだそうだ。しかし、(当然のことながら)相手にされなかったらしい。
そうこうしているうちに、キリンはアサヒにどんどん追いつかれ、ついに追い越された。何をやってもアサヒに勝てなくなってしまった。
その後、2002年だったと思うが、とうとうキリンは本社を移転する。(なぜかは不明)
2006年の年頭に、キリンは「第3のビール」でアサヒをわずかに抜いて、2ヶ月連続トップシェアの座に返り咲いた。マイナスの気を避けて、多少運気が上がってきたのだろうか。
・・・以上、とても有名な風水師に弟子入りしている人から聞いたお話。
真偽のほどは定かではないが、少なくとも「スーパードライ」なんていうシロモノ(お好きな方には申し訳ないが、エビス派の私は正直あれを美味しいと思ったことがない)のおかげで二十年も成功し続けている・・・なんていう説よりは、よっぽど信憑性があるような気がするのだが(笑)。
]]>
V. ごほうびの金の鈴~最終回
http://babelbabe.exblog.jp/10808120/
2009-08-08T11:30:02+09:00
2009-09-09T05:41:55+09:00
2009-08-08T11:29:38+09:00
babelbabe
通訳・英語
****
2006年9月8日
今日は、教授ご夫妻とケンブリッジ大学に行っていた。朝の5時起きで、夕方まで働き、その後夜10時から、全く別の仕事で国会議員の先生方がイギリスの新聞記者と世界の政治経済について語る会の通訳があって家に戻ったのは12時半・・・こんなの日本じゃ珍しくないかもしれないが、イギリスに来て久々だ。こんなに働いたの。
ケンブリッジ大学ってステキ。こんなところで勉強できる人たちは幸せだ。ペンブルック・カレッジの入り口間違えて(またやっちまった)、遠回りして迷い込んだ中庭がこれまた綺麗で、夫人もことのほかお喜びであった・・・。
今日は、お別れのときに、道に迷ってばかりだったことを改めてお詫びしたら、教授から思わぬ言葉をいただいた。
「そんなことはどうでもいいことだから気にしなくていい。今回の旅の目的は、日本から同行したガイドさんに、たとえば宮殿に行ってそこの詳しい説明してもらったりすることではなかった。この旅の主たる使命(各国の弁護士養成システムについて調査する)を果たすことができたし、なによりあなたのような実際住んでいる人にイギリスの生活や社会に関する生の声を聞くことができて、大変興味深かった。普通ではできないような素晴らしい旅になった。」
女神からはごほうびをいただいた。「今回は本当に優しい良い方でよかったわねっ、って主人と話していたのよ。私、鈴が大好きなので・・・これ良かったらどうぞ。」といって、金の鈴をくれた。
本当にステキな人たちだ・・・(うる)
「優しい良い方」はあなたがたです!!
こんなに仕事で感動したのって、大学のアルバイトの時以来かもしれない。
これからは、この鈴を肌身離さず持って、仕事に励もう。
・・・と、残念ながら、そういうわけにはいかないだろう。
女神はこの鈴より一まわり大きい色違いの鈴をお財布につけていたのだが、動くたびにコロコロコロコロっと鳴るものだから、刑事法院入館の荷物検査の時にはずして検査員に預かってもらわなければならなかったのだ。(女神はあらかじめ大きな荷物を預けていたので、財布と航空券だけをハンカチで風呂敷風に包んで持っていた。)
携帯が鳴って禁固刑6ヶ月なのだから、鈴も例外ではあるまい・・・。
帰りに鈴を受け取りに行ったら、黒人女性の検査員がとうとう尋ねてきた。「どうしてこれをお財布につけているの?」彼女は、朝鈴を預かるとき、とても不思議そうにしていたのだ。
「これ、お守りなんです。」と女神。そして、ちょっと恥ずかしそうに「私、鈴が好きなものですから・・・」
いつもはピリピリした雰囲気の刑事裁判所の荷物検査場所が一瞬ほのぼのとした空気に包まれた。(来ている人たち、たいていは刑事事件の犠牲者か罪を疑われた被告の関係者のはずなのに、みんな微笑んでいた。)
私の声という媒介を通していても、女神のご利益(りやく)は伝わるものらしい・・・。
]]>
IV. 女神降臨~救済編
http://babelbabe.exblog.jp/10801061/
2009-08-07T14:31:00+09:00
2009-09-09T05:41:55+09:00
2009-08-07T14:30:44+09:00
babelbabe
通訳・英語
****
2006年9月7日
ちなみに、例の教授、ワガママというより天然キャラで、むしろ「とっても良い人」の部類であった。ただし、悪気はないけれど周りを振り回してしまうタイプ。
天然教授とへっぽこガイドでは、お互いきっとたまったものではなかったであろう・・・。
しかし、私がこうして愚痴のひとつも書いていられるのは、まだ軽症ということである。
重症といえるほどに落ちこむことがあったら、食事もそこそこに酒飲んでフテ寝てしまうことにしている。どれだけ宿題があっても、たとえ翌日朝4時に起きてでも、とにかくその日は寝てしまうことにしている。
ちなみに、翌日起きると、「昨日はなにか悩んでたはずだがなんだっけ・・・」としばらく考え込んでいる。一度病院の検査でかなり深刻な病名でクロと出て(結局再検査で何でもなかったが)思い切り落ち込んだときも、翌日なかなか思い出せなかった。
われながら、強力なリセット機能を備えた脳ミソだと思う。こういう仕事をしていると、救われることも多い。
・・・と、話がそれてしまったが、こうしてフテ寝せずにいられるのも、今日は「ステキな女神様」が一緒だったからである。
天然教授は、奥様を連れてこられていた!(今回の1ヶ月近くにわたる旅は、研究旅行兼結婚40周年記念旅行なのだそうだ。ステキ!)
そして、この奥様が市毛良枝と桜井よし子を足して2で割ったような感じのとてもエレガントで可愛らしい女性だったのである。
「あら、あなた見て!綺麗なお花ね!!」
「まぁ、ステキな建物。」
・・・本当になごませていただいた。
しかし、この女神は単なる癒し系ではとどまらなかった。
切符をどこにしまったか忘れて改札でまごつく教授に、「あなた、右側のポケットにしまってらしたわよ」と間髪いれずに素晴らしいアシスト。
目指す通りが見つからず、一瞬パニクる私。女神が「あれじゃないかしら?」と指差すその先には、まさにその通りの名前が。
英語がまったくしゃべれない60代の淑女に、ロンドンのど真ん中でマジで何度も助けられた。
ところで、民事最高裁(正式名は高等法院。王立裁判所の中にある)のわき道に、弁護士のガウンやかつら(!)を売っている洋品店がある。私は高等法院で傍聴や裁判長との面談の仕事をしたあと、時間があれば話のタネに必ずお客さんを連れて行く。
そこには、名物判事や弁護士を描いたヴィクトリア朝時代の風刺画を刺繍した布製のオリジナルの「しおり」が売られている。日本の検察官や弁護士さんたちは、ほかでは手に入らない粋なお土産ということで、同僚や上司のために喜んで買って帰っている。(私もつられて一つ買ったことがある。)
しおりとはいえ、ひとつ2000円近くするシロモノが一度に何十枚も売れるし、日本の法曹界からのお客さんと聞けば、店員のお兄さんもサービス全開。裁判官のかつらとバリスター(法廷弁護士)のかつらやガウンのデザインの違い、かつらケースにもいろいろあること、その他1869年からの由緒あるお店の歴史など、毎回嫌な顔ひとつせずに丁寧に説明してくれる。
実はこの店が今日の観光ルートのハイライトだった。
朝、教授夫妻と会って今日一日の行程の説明のときに、以前買ったしおりを見せ、「こういうお店があるんですが、高等法院のあと、寄ってみられますか?」と言ったら、教授、「ありがとう」といって、しおりを受け取ってカバンにしまおうとした。・・・一瞬絶句。
「あなた、それは平山さんのよ。今日の午後、これを買えるお店に連れて行って頂くの。」
・・・ありがとう(涙)。
大好きな勉強ばかりしていたら、純真な子供の心のままおじいちゃんになってしまったような教授と、教授を立てつつしっかり手のひらで転がしている良妻賢母の鑑みたいな奥様。素晴らしいご夫婦であった。
一日終わってホテルに戻ったところで、喜んでるんだか不満なんだか今ひとつ読みにくかった教授が、とうとうねぎらいの言葉をかけてくれた。
「今日は本当にありがとう!おかげで楽しい一日となりました。・・・ところで、あなたはこういうガイドの仕事はどれくらいやってるの?」
(・・・だーから、ガイドじゃない!って言っただろーに!)
「あなた、平山さんは通訳さんよ。」
・・・女神よ、本当にありがとう・・・
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/