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2006年 12月 31日
23日に出したクリスマスカードが、年賀状と間違えられて郵便局に留め置かれ、クリスマスまでに届かなくて問題になったらしい。(文末の新聞記事参照のこと。)
こんな話を聞くと、年賀状の元旦配達なんてやめちゃえばいいのに、と思う。 被害者は、25日きっかりに到着するようにわざわざ工夫して23日に投函したと思われるが、ここがいかにも日本の年賀状的発想である。 欧米のクリスマスカードは、一斉に25日に届いたりはしない。イギリスの郵便局の連中にそんな器用な芸当はできない。 いや、それ以前に、クリスマスカードは「25日に」届けるものではない。「25日までに」届くことが望ましいのである。 イギリスでは、11月の末頃から、それぞれの街にクリスマス・ライト(イルミネーション)の飾りつけが始まり、その点灯式とともに「クリスマス・シーズン」の幕が切って落とされる。点灯式は、花火を上げて盛大に開催する街も多い。 その頃から、1枚、2枚・・・とクリスマスカードが届き始め、届いたカードは暖炉の上や窓辺などに飾られる。 そうこうしていると、12月25日になるころには、家中がクリスマスカードで一杯になる。 家に飾るカードが増えるたびに、クリスマス気分も高まっていく。 日に日に日照時間が短くなって気持ちが押しつぶされそうになるなかで(イギリスの冬は、寒いことよりも暗いことのほうがつらいのである。これで鬱になる人も少なくない)、仕事から帰ってきて赤や緑の封筒が届いているのを見ると、心が明るく、暖かくなる。 そんな季節の感じ方は、日本の年賀状では望むべくもない。 元旦にどさっと束になって届いたものを、「出した人」「返事を書かなければならない人」に仕分けする。 出してない人に限って来ている。出した人からは来ていない(笑)。てなわけで、大量に出したにもかかわらず、ヒット率が低いため、大量の返事を書くハメになる。 返事を書いたら、「県内」「県外」「市内」別に、これまた「束」にして、郵便局に持っていく。 子供の頃には、父親宛に届いた山のような年賀状の「第一次仕分け」を手伝わされたりもした。(ダイレクトメールを選別するのだ。) 年賀状の起源は「奈良時代」だとか、色々な説があるが、それは一部の限られた人が新しい年の初めに、遠方に住む上司などに挨拶状を送っていただけの話。 一般庶民が年賀状を出し始めるのは、今から約100年前の明治時代のことである。 昔の日本では、新年になると「年始の挨拶」として、普段お世話になっている人や近所の家に挨拶回りをしていたという。年賀状は、この挨拶回りが大変だから省略しよう、ということで始まった。 当時は、挨拶の代わりに手紙で済ませようとはけしからん!と嘆く人も少なくなかったらしい。今なら、「正月に会いに行くから年賀状はパスね」などと言ったら、逆に失礼だと叱られそうであるが(笑)。 ちなみに、年賀状はもともと、元旦以降、書初めと一緒に2日に書いて松の内(1日7日まで)に出していたという。だから「(新しい年が)明けまして」「おめでとう」なのだ。 お年玉付き年賀はがきが登場したのは昭和24年。これをきっかけに年賀状は爆発的に普及していった。全国民が現在のような形で年賀状をやり取りし始めたのは、意外と最近のことなのである。 まだテレビが貴重品だった子供の頃、新聞で当選番号を確認しながらワクワクした覚えがある。年賀状についているお年玉くじが人々に夢を与えたのも事実である。 しかし、この「お年玉くじ」のせいで、単なる季節の挨拶であったはずの年賀状に、宝くじにも似た物欲が絡んでおかしな発達をしてしまったような気がする。 今でこそ、お年玉で当たらなくたって何でも買える豊かな世の中になって、お年玉目当てで年賀状をやり取りする人なんていないかもしれない。 しかし、昭和30年代、40年代はそうではなかった。テレビが、今でいうと高級車くらい価値があった頃、紙切れとはいえ、それに化けるかもしれないようなものを送られれば、それに応えなければならないという気になる。 お年玉付きの年賀状を切らして、仕方なく普通のハガキに「年賀」と赤字で書いて送ることに、ものすごい罪悪感を感じた時代もあったのだ。 そんなことのないように、大目に年賀状を買って余らせたり、余らせるくらいなら・・・と大して親しく無い人にまで出したり。そうして親しくない人から送られてきたら、返事を出さざるを得ず、そこから毎年年賀状だけのやりとりが始まってしまったり。 そうやって、やり取りする枚数が膨れ上がっていって、何十年か経った今、どうしてこんなに出すのか分からないけど、年賀状ってこんなもんだ。毎年何百枚も出しているよ・・・という状況になってしまったんじゃないかと思う。 最近は、メールで新年の挨拶を済ませる人や、元旦きっかりに届くように出さない人も増えているというが、私は悪いことだとは思わない。 「お年玉付き年賀ハガキ」だってたかだか60年の歴史しかないわけだし、その伝統が破られることで、年賀状の本来の意義が取り戻されるのなら、むしろ歓迎したいと思う。 年の区切りを機会に、疎遠になってしまっている人と連絡を取ったり、普段お世話になっている人への感謝の気持ちや、遠くて会えない人への思いを伝えたりするのに、手段の限定や締め切りは、本来必要ないはず。 願わくば、欧米のクリスマスカードや日本の暑中見舞いのように違うタイミングで少しずつ届いて、書くほうも読むほうも、それを楽しむ時間的余裕が出来れば、と思うし、義理チョコみたいな不必要なやり取りもなくなってほしい。また、年賀はがきじゃない素材、たとえば普段使っている官製ハガキや気に入ったポストカードを気兼ねなく使えるようになってほしい。 ちなみに、イギリスでは、クリスマスカードの到着は25日過ぎても余裕でOKである。25日の夜に徹夜で正月の松飾に取替えて翌日から琴の音のBGMが流れる日本とは違い、少なくとも年明けの仕事初めまでは、皆まだまだクリスマス気分であるから・・・。 ****記事本文***** <郵便不配>Xマスカード61通 年賀状と間違える 奈良 (毎日新聞 - 12月30日 03:10) 奈良県河合町の一家が投かんしたクリスマスカード61枚が、同県王寺町の王寺郵便局(山本富貴男局長)の局員のミスで不配になっていたことが分かった。「Merry Christmas & A Happy New Year(メリークリスマス アンド ハッピーニューイヤー)」と書いていたため、年賀状と勘違いしたという。 61枚は今月23日に河合町で投かんされた。28日に差出人から「クリスマスまでに届いていない」と苦情があり、ミスが発覚。年賀状として配達先のある郵便局に運ばれた後で、王寺郵便局が差出人からあて先を聞いて回収作業を進めている。同局は差出人に謝罪。回収したはがきは謝罪文を添えて配達するという。 年賀状はあて名部分に「年賀」の文字がなくても、文面やデザインから年賀状と判断すれば元旦に配る場合があるというが、山本局長は「ご迷惑をおかけし、申し訳ない。再発防止に向けて職員指導を徹底したい」と話している。【高瀬浩平】
by babelbabe
| 2006-12-31 22:48
| 社会・時事
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